幸区内の町情報リスト

■ご協力いただいた方々
→おとんさん、ゆうさん

…写真も情報も、ほぼおとんさんが提供して下さいました。本当にありがとうございます(涙)。


町名 最寄駅 バス停
遠藤町(えんどうまち) 矢向 遠藤町、御幸小学校前、神明町、河原町
遠藤さんが作ったかどうかは判らないけれど、江戸時代からある由緒正しい名前で、大きさもほぼ同じ。特に特色はないが、御幸小学校、赤札堂と二つの目標がある。
大宮町(おおみやちょう) JR川崎 川崎駅西口
元の名は「戊大宮耕地」。「戊」は「犬」ではなく「つちのえ」。名前の由来は不明。戊=土兄=申と解釈すると方位は西南。お宮(女体神社か稲毛神社)の西南に当たる土地という意か。「耕地」といっても戦後までは沼地で耕作には向かなかったよう。葦原を開拓し、市営・県営の公団アパートや国鉄アパートが立った。ミューザ川崎を中心とした大宮町一帯は西口開発の象徴。東芝最盛期には道路を一部通行止めにして従業員が道一杯に通勤した。そのためか、西口通りの歩道は思いのほか広い。JR変電所も重要。南武線の電力源である。
小倉(おぐら) 新川崎 神田、東小倉、東小倉小学校、小倉下町、小倉陸橋、杉山神社入口、小倉、夢見ヶ崎動物公園前、小倉神社裏、小倉小学校前、小倉神社前、栗田病院前、ロクゴー前、末吉橋、自動車鋳物前
鹿島田駅近くから、南は鶴見川に至る、幸区の中でも南加瀬と並び広い面積を有する小倉。現在は新鶴見操車場によって分断されている。元々が多摩川と鶴見川の沖積地のため、土地は平坦で古くから農地として栄えてきた。操車場開設に伴い、水路の確保が困難となって、分断された東部(東小倉)は高層マンションに、
西部は小倉用水を利用して田畑が残った。小倉用水は南加瀬との境界となっている道路。写真は市立看護短大。

ランドマーク:
Kスクェア、杉山大神社、小倉神社、市立看護短期大学、無量院
鹿島田(かしまだ) 鹿島田、新川崎 鹿島田駅前、新川崎駅、鹿島田、鹿島田中町、田尻町、平間駅入口
鹿島田の地名は鹿島神社の社地であったことに由来。もっとも鹿島神社は、この地に移住した人達が建立した神社で、当時寺社に対する課税が免除されていた為、住民は開拓した土地すべてを鹿島神社に寄進したらしい。元の鹿島神社は操車場になってしまい、現在地に鹿島田神社として移っている。JR鹿島田駅と新川崎駅の間に淨蓮寺がある。この周辺は朱印地で、御進地などと呼ばれたが、現在では「御朱印橋」という橋が残っているのみ。写真は、新川崎三井ビル。
河原町(かわらまち) 京急川崎、矢向 河原町団地前、河原町、神明町
409号線沿いの一部を除き、町のほとんどが、県営・市営の団地で構成されている。昭和初期までは大字戸手の下河原耕地を中心とした地域で、これが町名の由来。大正時代に日東製鋼ができ、更に東京製綱に買収された。現在の河原町団地のほとんどはその跡地。さいわい緑道は矢向からの引込み線跡で、団地南側の部分は河原町内。緑道東端の公園付近には川崎河岸駅があった。
北加瀬(きたかせ) JR新川崎、JR鹿島田 1丁目:日吉小前、鹿島田陸橋、新川崎入り口、山崎、寿福寺前 2丁目:北加瀬2丁目、谷戸 3丁目:日吉中前、北加瀬3丁目、三菱自動車前
加瀬山の北麓にあって、意外と波乱万丈の歴史を持つ。明治までは北加瀬村、明治22年に日吉村になり、昭和12年になって川崎市に編入、大字北加瀬となった。更に昭和47年には一部が西加瀬となって中原区に編入された。夢見ヶ崎動物公園のおよそ半分までが北加瀬で、熊野神社や了源寺も北加瀬にはいる。北加瀬には大六天古墳、白山古墳の2基の古墳があったが、工場用地や軍事施設建設のため破壊されてしまった。ランドマークはLINXゴルフ練習場
小向(こむかい) 京急川崎 妙光寺前
元々人家がなく、昭和になってからも耕地整理や住居表示が改まれずに、この名が残っている町。昔はシジミ取りで賑わったらしいが、今では川崎競馬の練習場となっている。馬が横断歩道を渡る風景にはちょっとした趣が感じられる。
小向町(こむかいちょう) 京急川崎 妙光寺前、小向、小向交番前
妙光寺周辺は多摩川の水害も比較的少なく、徳川家康が後の江戸に入るおり、小向より多摩川を渡ったと記録にある古い土地。小向仲野町から東古市場に広がっていた梅林より収穫された梅の実と花は、妙光寺裏より江戸に運ばれていたらしい。スーパー「のざき」はこの一帯の食を守る中枢。
小向東芝町(こむかいとうしばちょう) 京急川崎、矢向 小向交番前、御幸公園前、東古市場、東芝前、武道館前
文字通り東芝小向工場が占めている町。唯一東芝の施設でないのは交番だけ。
小向仲野町(こむかいなかのちょう) 京急川崎 御幸公園前

町の半分近くを占める小向厩舎は、昭和25年の県営競馬の開催に伴って設置された。多摩川大橋脇には昭和37年に川崎市立工業高校があり、平成5年に総合科学高校となった。電車から目に入る高いアンテナはラジオ日本のもの。以前はラジオ関東と言っていたので、地元の古い人は今でも「ラジ関のアンテナ」と呼んだりもする。アンテナは小向だが中継局はココ、仲野町にある。町に接するバス停は少なく、多くは小向町から町内に入る。
小向西町(こむかいにしまち) 京急川崎 区役所入口、小向西町、小向交番前、東芝前、武道館前
元は小向の一部だったが、区画整理の際、西にあるということからこの名前に。小向八幡は古くからある神社で「小向獅子舞」は市の重要文化財。4丁目の西御幸小学校は住宅の増加に伴い、御幸小学校から別れた学校。学校の南には昔、がらまん池とひょうたん池があり、食用蛙、蛍がいて、釣りも出来たらしい。
その他のランドマーク:西御幸小学校、田代医院、スーパー「ライフ」
紺屋町(こんやまち) 矢向 正教寺前、神明町、御幸小学校前
第二京浜の十字路「神明町」から遠藤町交差点までのエリア。国道を跨いでいる。ランドマークはプロミス、スバル、正教寺、女軆神社、みのり幼稚園。かなり狭いエリア。
幸町(さいわいちょう) 京急川崎 ソリッドスクエア前、幸町2丁目、中幸町3丁目
幸町の名前は明治天皇行幸にちなんでつけられた「御幸村」が、川崎市に合併する際に一字を取ったもの。幸町のランドマークはなんといっても女躰神社。謂れは多摩川の氾濫からこの地を救った女性を祀った事によるが、御神体は・・・だそう。まさに母性愛に満ちた神様。幸町公園が町の中心にあり、四丁に分かれている。それぞれのランドマークは、2丁目には明治天皇御幸の碑、3丁目に円真寺、4丁目にはニコニコ通り商店街に富士見湯がある。
下平間(しもひらま) 鹿島田 南下平間、下平間住宅前、武道館前、下平間、鹿島田、明治橋、鹿島田駅入り口

多摩川と加瀬山の間に開けた平坦な土地から名づけられた「平間郷」。そのうち上平間が中原区、下平間が幸区に属した。赤穂浪士の大石内蔵助が江戸入りの前に平間村に住む軽部五兵衛宅に滞在した事から、軽部宅前にあった称名寺は多くの遺品を所蔵し、有名になった。
新塚越(しんつかごし) 鹿島田、新川崎 鹿島田駅前、鹿島田駅入り口、明治橋

鹿島田駅東部再開発事業に伴い、平成12年に設定された新しい町。元は大宮町から移転した東芝タンガロイ本社工場。パークシティに続く、新しい川崎の顔でもある。ランドマークは、サウザンドシティー、ルリエ新川崎。

■ルリエとサウザンドシティ(分譲マンション)について

公社賃貸マンションがルリエ新川崎という名前で、脇にあるオフィス棟(マルエツと上の部分)を含め公社が管理している。(他にも地権者有り)ここにならぶ商業施設部分をサウザンドモールといっている。サウザンドシティも公社の分譲で、ルリエを含む商業施設部分と一体開発されたため、後からできたショッピングモールにも「サウザンド」の名前を付けたと思われる。サウザンドモールの2階広場を奥へ入ると、デッキを渡ってサウザンドシティのマンション敷地へ続くが、このデッキの途中からがサウザンドシティである。


神明町(しんめいちょう) 矢向 正教寺前、神明町平和会館さいわい前、静翁寺前

西側は西友あたりから幸緑道沿いに河原町団地前の通りまで細長く伸びる地域で、町名の由来は文字通り神明神社。しかし神社そのものは戸手本町になります。臨港バス営業所南側の道を境界に北が1丁目、南が2丁目となります。南端にある静翁寺(じょうおうじ)があるくらいで町のほとんどは住宅地ですが、近年西友やPAW、ができました。

ランドマーク:PAW、静翁寺、臨港バス営業所、西友など
塚越(つかごし) 矢向 戸手小学校前、日本酸素前、塚越、東明寺前、明治橋、東小倉、神田
1・2丁目は住宅街、3・4丁目は工場と概ね住み分けられていた。最近は工場跡地からマンションに建て替えが進んでいる。昔、この辺に塚があったことから塚越と呼ばれる。塚越中学付近は「袋」と呼ばれ、多摩川が蛇行していた頃の川筋にあたる。このほかにも3・4丁目境界付近に「矢通り」という古い地名がある。「矢口渡しの合戦で、矢が塚を越えて飛んできたから」という説があるが、「矢」は河川周辺に使われる事から、この辺が多摩川河川域だった事が推測される。東明寺周辺(沼ノ上)は古くから開けた土地で、同寺は昔から「お灸の寺」として有名で、全国から多くの人がお灸を受けに訪れる。以前、南武線の矢向・尻手間、鹿島田・平間間が近いので、矢向と鹿島田を統合して、塚越付近に駅を作るという計画が何度かあった。 写真は「志楽の湯」。
戸手(とて) 京急川崎、矢向 御幸小学校前、遠藤町、戸手アパート前、妙光寺前、戸手1丁目
川崎は桃や梨だけでなく、イチジクやそら豆も東京や横浜に出荷していた。更に戸手の消防署近くでは製氷田もあったらしい。御幸村と呼ばれていた頃には保健所付近に役場があったとか。
戸手本町(とてほんまち) 幸区役所入り口、市立商業高校前、戸手小学校前
戸手は区の北西にあり、戸手本町はほぼ中央、二国から更にPAW(神明町)や紺屋町を経て西にある。なぜ離れた場所に似た地名があるのか。元々神明町以北の一帯を戸手と呼んでいた。後に幾つかの町に分かれたが、神明神社を擁し、戸手の中心であった現戸手本町と細分化を免れた戸手が残り、鎮守社に近いこの地を本町をつけたらしい。現在区役所のある一帯は大正10年から昭和34年まで戸手浄水場があり、戸手本町1丁目は川崎市の水道発祥の地。古くから住む地元の人は区役所南側の道を「浄水場通り」と呼ぶ。ランドマークは神明神社、川崎市立商業高校
中幸町(なかさいわいちょう) JR川崎 都町、中幸町、中幸町3丁目
東は幸町と堀川町、西はハッピーロードと栄通り商店街に挟まれた地域。微高地になっているのでムラの形成も古く、「中辻子(なかずし)」と呼ばれていた。ココには幸区で「武道といえば杉野道場」と言われるほど有名な道場がある。また、中幸町交差点近くの「あさりや」は全国から鰻を食べに来る人が集まる、隠れた名店。以前は名前の通りあさりやしじみを売っていたらしい。
東古市場(ひがしふるいちば) 鹿島田 御幸公園、東古市場、天満神社前

御幸の梅林は江戸時代に産業として植えられたもの。実は梅干となり、花は生け花として利用されたらしい。新田義興殺害で有名になった矢口の渡しは多摩川大橋の少し上流、八幡神社西側の公園道路との交差する辺りにあった。矢口の渡しは検問の厳しかった六郷渡しを避けて裏街道として利用する人が多かった。
古市場(ふるいちば) 鹿島田 住宅前、武道館前、古市場、古市場交番前

古市場は実際には「古市場」と「古市場一・二丁目」の二つの町になっている。小向東芝町と東古市場の両町に接する古市場は天満神社の市が立った事から古市場と呼ばれた。(他説有り)「古市場」と「古市場一・二丁目」との境界には公園道路がある。ココを歩くと南側が僅かに高台になっているのが判る。明治まではこの道付近に多摩川が流れていて、昭和半ばまで川が流れていた。「古市場一・二丁目」は昭和23年に大字古市場から新しく分かれてできた地域で、多摩川の氾濫のお蔭で肥沃な農地であった。
古川町(ふるかわまち) 矢向 明治橋
下平間と塚越、戸手本町にはさまれた、狭い地域。昔は多摩川がこの辺りまで入り込み、お蔭で土地が良く肥えて古くから水田農業が発達していた。この地域には消防局や東芝など、企業の社宅や官舎が目立つ。
堀川町(ほりかわちょう) JR川崎、京急川崎 川崎駅西口、ソリッドスクエア前、幸町2丁目
堀川町は昔はシジミやドジョウの取れた水田地帯だったが、幸区では最初に近代的工場「横浜製糖」が入った地域。以来、幸区の産業の中心でもあり、象徴になった。それは明治製菓になり、ソリッドスクエアに受け継がれている。堀川町はソリッドスクエアだけでなく、旧東芝堀川町工場、川崎駅西口広場からミューザの一部まで含まれている。

明治39年に横浜製糖が堀川町に創業。
{明治41年に東京電気(東芝)川崎工場(堀川町工場)操業開始。}
明治44年に横浜製糖が明治製糖に併合。
明治製糖は1996年大日本製糖と合併して、
現在の「大日本明治製糖」(バラ印の砂糖)になります。
大正14年に明治製菓が明治製糖の隣地に川崎工場操業開始。
南加瀬(みなみかせ) 新川崎 越路、南加瀬2丁目、ひがし前、夢見ヶ崎動物公園前、南加瀬住宅前、江川町、小倉小学校前、南加瀬原町、中之原住宅前、南加瀬交番前、樋橋、下の町住宅前、一本橋
南側と西側を鶴見川と矢上川に接し、北を夢見ヶ崎動物公園、東は動物公園入り口〜南加瀬交番交差点を結んだ道路で小倉と接する大きな地域。加瀬の名前は諸説あるが、吾妻鏡にも出てくる加世氏に由来すると言われている。夢見ヶ崎は古代には日吉の高台と続いていたが、川の氾濫などによって削られて分離したらしい。公園西側のアパート付近には戦前まで古墳があったが、東芝堀川町工場建設の折にこの土を利用した為、貴重な文化財が消失してしまった。
南幸町(みなみさいわいちょう) JR川崎、尻手 中幸町、幸警察署前、南幸町2丁目、南幸町尻手駅前、中央卸市場前、尻手駅前
東はハッピーロード、西は尻手駅付近、南は西口通り、北は南河原公園南側道路に囲まれた大きな地域です。町内に文化堂(2丁目)、いなげや(1丁目)の二つのスーパーがあり、さいわいクリニックや梅園幼稚園(いずれも1丁目)、南部市場(3丁目)など西口周辺の中核をなしている。川崎南河原郵便局は無集配の簡易局ながら地域の暮らしを支えている。諏訪公園には長野の諏訪大社から分霊された諏訪神社があり、縁日には賑わっていたそうだが、昭和36年に女体神社に合祀されている。
都町(みやこちょう) 矢向 神明町車庫、幸警察署前、都町、神明町平安会館さいわい前
地名辞書によると、都町という名前は神社の門前などに多く見られるらしいが、ここも神明神社や諏訪公園にあった諏訪神社があったところから、この地名がついたものか。現在この狭い地域には、西から幸警察、幸風園、南河原公園、幸病院、南河原小学校、延命寺が面積の大半を占めている。が、幸警察は対面の南幸町に、幸病院は大宮町(旧東芝体育館)に移転が決まっている。南河原公園は「なかよしまる」として子供達に人気の公園。戦時中にあった柳町交差点から都町交差点付近の空爆では、南河原公園と隣接する石井差婦人科(現幸病院)に多くの死傷者が収容され、遺体は延命寺などで供養された。
矢上(やがみ) 日吉、新川崎 北加瀬
矢上川と渋川に沿って細長く、尻手黒川線西側にある小さな町。古文書では「谷上」の文字があり、矢上はこれが変じたものか。江戸時代までは横浜側にあった矢上村の一部だったが、明治の河川改修を経て、昭和に入って川崎市に編入された。尻手黒川線沿いにある「矢上湯」のほか、渋川ポンプ場や観音寺がある。
柳町(やなぎちょう) JR川崎、尻手 柳町、南幸町二丁目、尻手駅前、南幸町、国道尻手
大正まではほぼ水田と湿地。西口通りの南側に、東は大宮町、西は二国(国道1号線)まで広がる細長い地形で、町内を市電通り(プール道路)と南武線に分断されている。ちなみに第二国道病院の住所は南幸町。町内のほとんどを東芝と東電川崎変電所に占められ、中大規模の開発は進んでおらず、比較的昔のまま。それでも東芝がキャノンに替わるなど、僅かずつ変化を見せている。2005年からはジョナサンがランドマーク?


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