地域社会が持つ教育力は、地域社会をリードすべき「大人」たちが、模範的な行動を取ることによって発揮されます。
間違っても、子どもに対して遠慮したり恐れの気持ちなど抱いていては、模範になれるはずはありません。

地域に教育力があれば、公共の場で周囲に迷惑をかける非常識な子どもの数が減るのは自明です。
大人たちが模範的な行動を取っている、すなわち、大人たちはもちろん公共の場で周囲に迷惑を
かけることはないし、そのような大人がいれば、大人同士が注意し合う状況が、そこにあるはずだからです。
大人同士が、互いに思いやりの心をもつこと、注意を受けたときには謙虚に受け入れ、謝罪し反省できること。
その様子を見て、子どもたちはそれを真似したい、模範にしようとは思わないでしょうか。

大人は「最近の若者は」と言いがちです。その表現は、大人と若者との隔絶の存在を明らかにしています。
ですから大人は、自分の影響しやすい範囲から働きかけを始める必要があります。
それは、明らかに隔絶している若者ではなく、考え方の近いであろう同じ世代の大人です。
大人同士が互いに影響しあうところから始めないと、若者が変わるはずはありません。

地域社会に教育力を持たせることは、夢のような話かもしれません。
話が飛ぶようですが、たとえば町中で、大人同士がもっと気軽に
コミュニケーションを取れれば、町の安全性が向上します。
隣りに住んでいる人についてすら情報がない最近の状況とは、雲泥の差があります。
町の安全性の低さも、他人への語りかけを妨げている一因ですから、
安全性の向上は、コミュニケーションを更に活性化させるという好循環を生み出します。
そしてコミュニケーションは、否応なしに、人々の間に共通の考え方を生むでしょう。
自分と同じ考え方を持つ人が多いことを生身で感じれば、大人は自分の考えに自信を持ち、子どもたちや、
町中で周囲に迷惑をかけている人たちに注意したり話しかけたりすることを、もっと堂々と出来るようになるでしょう。

結局は、近隣住民間での、大人同士のコミュニケーションが減っているから、子どもたちとの隔絶も起きてしまうのです。
大人同士がコミュニケーション量を増やせば、子どもたちのと交流の機会も増えていくのだと思います。
そして、地域が全体として、教育力という限定的な範疇を越え、一つ高いレベルに上がることが出来るはずなのです。

今述べたのは、「ビジョン」です。ビジョンを思い描くことは、イメージトレーニングに近いと思います。
いつもそれを心に留めておけば、人間はそれに向かって歩くことが出来ます。ですからまずは、このビジョン、
「地域内の大人同士のコミュニケーションが増える」という風景を、一人でも多くの大人が心に抱くことが先決です。

(2003年11月記す)

※ご意見をお待ちしています。掲示板かメールでお願いいたします。