現代の学校における最も大きな変化。
それは、先生が、畏怖すべき存在から、単なる1人の人間になってしまったということです。

その理由のひとつには、体罰に対する世間の目が過度に厳しくなったことがあげられるでしょう。
「げんこつ」を持つ先生と持たない先生では、子供たちの態度が変わるのも当然のことです。

昭和51年生まれの筆者も、体罰を受けた、または目撃した経験は数えられないほどあります。
小学1年生のとき、カラーボールを授業中に先生から投げつけられ、
顔面に当たって目が充血し、視界が暫くおかしくなったこともあります。

それは行き過ぎだとしても、忘れ物をした生徒が、授業の最初に先生の前に並び、
軽い「げんこつ」を頭にもらうことは普通でしたし、大半の生徒たちも、それを体罰だとか、暴力だとか、
理不尽だとか、そのようにとらえてはいなかったと思います。

今はどうでしょう。世間で言われていることを真に受ければ、そのような軽い体罰まで、ほぼ消えているようです。

二つ目の理由として、子供の親が、先生を尊敬しなくなってきていることがあげられると思います。
子供は親の鏡ですから、親が尊敬していない人物を、子供が尊敬することは難しいでしょう。
その原因は、大雑把に言えば、価値観の多様化、ということになるでしょうか。

その副作用として、先生は保護者から、バラバラな要求をされるようになりました。
価値観が多様化した分、要求も多様化しますし、先生が尊敬されなくなっている分、要求のされ方もストレートになります。
そのストレスと障害が先生たちの精神を揺らがせ、力強い指導は難しくなり、整然と進む授業は過去のものになり、
学校全体の教育力も、低下せざるを得なくなるのです。

以上2つの理由をまとめれば、世間が原因である、ということになりそうですが、
そんなにシンプルでないのは、誰の目にも明らかです。
考えられる理由を全部挙げていたら切りがありませんが、世間という外的要因ではなく、
内的要因についても考える必要はあると思います。

教師が「単なる1人の人間」になった、学校内にある原因として、
職員室内でも、やはり同様に価値観が多様化し、
先生同士のコミュニケーションが難しくなっている状況があるのです。

(2003年10月記す−つづく−)

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