父親には父親の、母親には母親の、学校には学校の持つ、教育的役割があると思います。
そして、地域社会にしか担えない教育的役割もまた、存在すると思います。

たとえば、両親や学校がどんなにひとつのことを教え込んでも、実際の地域社会でそれが
守られていなければ、子供は自分が教わったことに確信が持てないままになってしまうでしょう。

「道にごみを捨てちゃいけないよ」「バスの中でさわいじゃだめだよ」「老人には席を譲るんだよ」。
そんな言葉も、地域内でそれを守れない人が多ければ、まったく説得力をもたない虚しいものになってしまいます。
そして悲しいことに、今の状況は、それこそが現実なのです。

公共のマナーに反することをしてしまう人は、たぶん増えているのではないかと思います。
理由は、たとえば、核家族化。3世代以上の大家族に比べ、子供の家族内教育を担う人間の絶対数が減ります。
たとえば、価値観の多様化。世界中の情報に触れられるようになり、それまでは狭い日本にある価値観のみに
従っていたのが、それが唯一でないと知り、個々人が、独自の価値観をもつようになりました。

それ自体は、実際素晴らしいことです。しかし、「自分らしさ」「個性」「プライバシー」などの言葉が大切にされる時代に
なると、それに比例して、その言葉を盾に、単なるワガママを通そうとする人も、増えるのです。
教育する側も、その言葉を出されると、どうにも対抗できなかったり、
その言葉が出されることを恐れて、なにも伝えずに終わってしまったり。

更に、戦争中の全体主義がもたらした恐ろしさを学校などで学んでいる日本人は、
その反発力として、余計に「個人」という価値観を追求してしまうのかもしれません。
その結果、公共マナーを守る人が少なくなる。

しかし、やはりマナー、他人への気配り、思いやりが社会的に大切であることは、いうまでもありません。
そしてそれが遵守されるようになるためには、「地域社会の教育力」が非常に大きなウェイトを占めるのです。
では、具体的には、その教育力を回復させるためには、どのようにしていけばいいのでしょうか。

(2003年9月記す−つづく−)

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